今回は岩手県の川内駅に2017年に訪問した時の様子をご紹介します。
2020年の12月中旬、JR東日本山田線の川内駅の駅舎は新駅舎へと建て替えらえました。
写真はすべて旧駅舎時代の写真で、皆さんにご紹介する価値は多少なりともあるのではないかと思います。
それでは是非最後までどうぞ。
川内駅の歴史
まず、川内駅の歴史を簡単にご紹介します。
開業は1933年(昭和8年)で、2018年まで有人駅で駅長と社員が配置されていました。開業当初から駅のホームは2面3線でした。
1973年に貨物の取り扱いが廃止され、1984年には荷物の取り扱いが廃止されましたが、そこから30年以上大きな変化はありませんでした。
しかし2018年3月25日、盛岡~宮古間の閉塞方式が連査閉塞式から特殊自動閉塞式(CTC)に変更されると同時に、3番線の使用が停止されました。
駅間に列車がいないことを両駅で確認して出発駅では出発信号を出して、到着駅では信号をロックし、列車が出発すると信号はロックされて、列車が到着駅に着くと再び出発信号を操作できるようになるという鉄道の運行システムの一つです。
操作は信号のロック以外はほぼ手動で、かつ行き違い設備を持つ駅に駅員を配置しなければならなかったため、非常に非効率な運行システムでした。
そのため、2018年のCTC化まで、山田線(盛岡~宮古間)は営業路線において唯一連査閉塞式を採用していた路線でした。(過去にはほかの路線でも採用されていました。)
同年4月22日にとうとう無人駅となり、宮古駅の管理下となります。
2019年3月23日、旧山田線区間の宮古~釜石間が三陸鉄道に移管されて復旧したのと同時に、宮古駅の管理も三陸鉄道に移管されました。
よって、川内駅は盛岡駅の管理下に置かれるようになりました。
ここで、川内駅の利用者数を2000年度と2017年度で比較してみましょう。
なんと、20年前から一桁しか利用者がいなかったようです。
このような利用者が非常に少ない駅に駅長と駅員が配置されていたのは、連査閉塞式で用いされれる連査閉塞器を操作しなければならなかったためです。
訪問したときの様子
〈1枚目〉川内駅の駅舎の様子です。
開業当時から使用されてきた駅舎で、1933年から2020年までの87年間、活躍しました。
昔の駅舎は基本こんな感じですよね。
(なぜ駅舎全体を写さなかったんだ…)
〈2枚目〉駅前右手には「オートバイ置き場」「自転車置き場」と書かれた小屋があり、訪れたときは自転車が数台置かれていました。
一般の人が利用していいのかは不明です。
私が訪れたのは2018年の12月。
2018年の4月に川内駅長の配置がなくなり無人駅となってからしばらく経った頃だったので、かつて営業していた窓口の部分は塞がれて、窓口の廃止を知らせる張り紙が掲示されていました。
1番線から宮古駅方面を眺めたときの様子。
大きくカーブしていて、宮古方面からやってきた列車は急に姿を現すような感じです。
これは、山田線と並行している閉伊川のカーブに沿って線路が敷かれているためです。
続いて盛岡方面を眺めた様子です。
盛岡方面は宮古方面と比べて土地に余裕がある感じがします。
奥には給水塔が残っていますから、そこまで線路が伸びていたようです。
2・3番線から宮古方面を眺めた様子。
個人的にこの景色がお気に入りです。
こ線橋はなく、2・3番線へは構内踏切で接続されています。
※2019年くらいにホームに柵が取り付けられ、3番線側には立ち入れなくなりました。
まとめ
以上、山田線の川内駅をご紹介しました。
こんな山奥の秘境の駅に、駅員が終日2人以上勤務していて、さらにそれが数年前まで行われていたと考えると、凄いことですよね。
駅には国鉄時代の名残が数多く残り、高い山々に囲まれた孤立感も相まって昭和の雰囲気を感じられとても面白かったです。