2022年のダイヤ改正で通年通過駅となってしまったJR山田線の平津戸駅。
今回は、6年前の2016年に訪れた時の平津戸駅の様子をご紹介します。
平津戸駅の歴史
ここで平津戸駅の歴史について簡単にご紹介します。
平津戸駅の開業は1931年で、なんと当時は山田線の終着駅でした。
1933年に山田線が陸中川井駅まで延伸するまでのおよそ2年間のことです。
1970年までは貨物の取り扱いがあり、1982年までは荷物の取り扱いも行われていました。
その荷物の取り扱いの廃止と同時に無人駅となり、現在に至ります。
盛岡~宮古間の沿線人口は山田線の開業当時から少なく、建設における議論で野党議員が、「こんなところに鉄道を敷いて、山猿でも乗せるつもりか」と述べたのは有名な話?です。
また、休止前は宮古方面の始発列車が19時09分発と、日本で最も遅い始発列車で知られていました。
2016年 平津戸駅の様子
まずは、1974~1978年の国土地理院の航空写真を見てみます。
赤丸で囲んであるのがかつての駅舎で、青い線は線路、緑丸のところが転車台です。
続いて、2015年の航空写真を見てみます。
1974~1978年の航空写真と比較してみると、駅舎が小さくなり、また転車台も見当たりません。
また、2つあったホームは駅舎側のみとなり、簡素化されています。
しかし、周辺の建物の密度にはほぼ変化がなく、駅だけが姿を変えたような形となっています。
旧駅舎は、おそらく開業当初からのものだったのだと思いますが、1982年の駅無人化に伴い、駅舎のうち駅員が業務していた場所には細田商店という商店が入っていました。
しかしその商店も2000年ころにはすでに閉店していたようです。
(民家も数えるくらいしかない山奥では、商売は立ち行かないのでしょうね)
旧駅舎は2003年ごろまでは確認されていますので、おそらく2004年~2007年の間に今の駅舎に建て替えらえたんだと思います。
①平津戸駅のホームは1面1線とされていますが、実際に行ってみると切り欠きホームがあります。
このホームはおそらく郵便や荷物を輸送する車両を止めていたホームだと思われます。
現在は保線用の車両がおかれていることがあります。
その関係かどうかはわかりませんが、平津戸駅には盛岡保険技術センターの休憩所が設置されています。(③)
④そして、かつて存在していた転車台ですが、木と草が生い茂り残っていたことと雪が降っていたので現在も残っているのかどうかは確認できませんでした。
ちなみに、転車台は蒸気機関車が運転されていた時代に使用されていました。
ただ、2015年の航空写真で見るとそれらしきものは見当たらず、撤去されたのではと思います。
⑤の写真は、ホームから宮古方面を見たときの写真ですが、写真左にスペースがあります。
これは、かつて相対式ホームを有していた名残で、駅舎と反対側のホームへ延びる線路があった用地です。
⑥の写真を見ても、右側に線路が敷かれていたと思えるような敷地があるのが分かります。
また、写真の右奥には木の中に何か平らな土地があることが分かります。
これは平津戸駅のかつての遺構なのかどうかはわかりませんでした。
しかし、道路ではなかった記憶があるのでどうなんでしょう…
まとめ
平津戸駅は現在は全列車が通過する休止駅ですが、歴史を所々感じさせてくれる面白い駅でした。
周辺に民家が数件しかない所にも駅を作って、貨物や荷物を運んでくれていた時代があったことをとても感慨深く思います。
そもそも山田線を建設してくれた原敬に感謝ですね。