東北には、オリジナリティあふれる秘境駅が存在しています。
また、かつては日本でもランキングの上位に入る秘境駅が複数ありました。
今回は東北に存在していた秘境駅を5つ紹介したいと思います。
押角駅(岩泉線)
押角駅は、岩泉線の岩手和井内駅と岩手大川駅との途中に存在していた駅です。
2014年4月1日岩泉線の廃止と同時に、この押角駅も廃止されています。
押角駅は全国的にもかなり有名な秘境駅で、
「秘境駅へ行こう!」という秘境駅を扱うサイトでは、秘境駅ランキングでトップ10に入っていたと思います。(うろ覚えでごめんなさい)
押角駅に停車していた1日の列車本数は、
上下ともに3本づつ
と、鉄路で訪れるのは非常に困難でした。
近くには国道340号が通っていますが、その道幅は車両1台分しかなく、行き違いが困難なところもあります。
そんな押角駅もかつては
- 3段スイッチバック構造
- 単式1面
- 島式ホーム1面2線
- 引き上げ線1線
を有したそこそこの規模だったそうです。
ホームまでは、そばを流れる細くて崩れそうな橋を渡っていました。
私は、岩泉線廃線後の2016年ごろに一度訪れたことがあります。
その時は、駅までの橋は取り外され(流された?)ていました。
駅のホームは、駅名標や時刻表は取り外され、上るのが危険なくらいボロボロになっていました。駅ノートは残っていたと思います。
また、SL時代に使用していたであろう物や、スイッチバック時代の島式ホームが残っていました。
しかし、かつての単線ホームは見当たりませんでした。
スイッチバック時代の駅舎があった場所には、現在は養鱒場(マスの養殖)があります。
浅岸駅(山田線)
浅岸駅は、山田線の区界駅と大志田駅の途中に存在していた駅です。
浅岸駅は、2015年11月30日が最終営業日となり、2016年3月26日に廃止されました。
浅岸駅も押角駅と同じく、秘境駅ランキングでトップ10に入っていました。
1面1線のホームが山の中にぽつんと佇んでいるます。
浅岸駅に停車していた1日の列車本数は
上下ともに1本ずつ
しかなく、列車での到達はほぼ困難でした。
そのため、ここを訪れていた鉄道マニアの方々は、野宿をする人も多かったようです。
盛岡市に属していますが、盛岡市街地からは1時間30分はかかり、途中は山道です。
そのため、車でも到達は困難を有した秘境感MAXの駅でした。
浅岸駅もかつては大きな集落の中心的な駅で、有人駅時代は売店のほか
- 3段スイッチバック構造
- 島式ホーム1面2線
- 側線1線
が存在していました。
私は、廃止直前の2015年の11月に訪れましたが、スイッチバック時代のホームが残っていました。
駅までの道にスイッチバック時代は線路が敷かれて、島式ホームに伸びていたのではないかと思われます。
廃止された現在ではホームは撤去され、スイッチバック時代のホームと駅までの道以外には何も残っていないようです。
大志田駅(山田線)
大志田駅は、同じく山田線の浅岸駅と上米内駅の途中に存在していた駅です。
大志田駅は、2015年11月30日が最終営業日となり、2016年3月26日に浅岸駅と同時に廃止されました。
大志田駅も秘境駅ランキングでトップ10に入っていました。
2006年から2016年までの10年間は、1年の利用客数が1人を下回ったため、JR東日本から廃止する意向が伝えられ廃止となりました。
この駅に停車していた1日の列車本数は、
上り2本、下り1本
と、これまた極端に少ないです。
しかし、盛岡市街地からの道中には、家がちらほらとあります。
そのため、正直私は浅岸駅のほうが秘境度(?)は高いと感じました。
この駅もかつては有人駅で、
- 3段スイッチバック構造
- 相対式ホーム2面2線
が存在していました。
この大志田駅には、2015年の11月に浅岸駅と同時に訪れました。
そのときは、ホームや階段は新しく整備されていて、浅岸駅より管理が行き届いてるようでした。
また、スイッチバック時代のホームも確認できました。
廃止となった現在は、スイッチバック時代のホームとそこに延びていた線路の分岐器が残っているのみのようです。
田子倉駅(只見線)
田子倉駅は、只見線の只見駅と大白川駅の間に存在した駅です。
この駅は2013年3月16日のダイヤ改正で廃止となりました。
田子倉駅は1971年に只見線の只見 – 大白川間の開通に伴い開業しました。この時から無人駅として営業していました。
ちなみに、廃止前は東北地方の最西端の駅でした。
その後、2001年の12月1日からの冬季期間に全列車通過するようになり、2012年には通年全列車が通過するようになりました。
この駅の大きな特徴は、駅全体を囲っている巨大なスノーシェッドです。
開業当時はありませんでしたが、大雪の影響を受けやすかったためか、しばらくして設置されました。
営業していた当時の一日の停車本数は、
上下3本ずつ
で、また近くを通る国道も半年間は通行止めとなるので、到達が非常に困難でした。
また、利用客は年間250人ほどで、1日平均で1人であったことが廃止の決定的な理由だそうです。
この駅はほかの秘境駅と比べて歴史が浅く、営業開始時から1面1線で営業していました。
2013年に廃止となった田子倉駅のその後ですが、現在でもその駅舎は残っているようです。
出入口は完全に施錠されていますが、ホームまでの通路とホーム、ベンチが今でも残っているのが列車内から確認できます。
解体しない理由は、スノーシェッドを解体するために列車の運休が必要だからなのでしょうか。真意は不明です。
赤岩駅(奥羽本線)
赤岩駅は奥羽本線の庭坂駅と板谷駅の間に存在していた駅です。
こちらの駅は、2021年の3月12日に廃止されました。
赤岩駅は1899年に赤岩信号場として開業し、1910年に赤岩駅に昇格しました。
ちなみに、奥羽本線の福島~米沢間は赤岩・板谷・峠・大沢の4駅連続スイッチバックで有名ですよね。
その4駅連続スイッチバックは山形新幹線開業に伴い、1990年に4駅とも廃止されました。
そんな赤岩駅ですが、1984年に無人化され、2012年には冬季期間に全列車が通過するようになりました。
さらに2017年には通年で全列車が通過するようになりました。
営業時の1日の停車本数は、
上り下りともに6本ずつ
と、上の4つの駅よりは本数こそ多いですが、周りに民家は1つもありません。
駅から少し離れたところに大平地区があり、かんたファームさんが運営する農園リゾートがあります。
かつては、
- 2本の引き込み線に2面2線の相対式ホーム(水色の線)
- トンネル脇の横取線(黄色の線)
を有する3段スイッチバック構造でした。
しかし、先述した通り山形新幹線の開業に伴い駅舎を移転し(赤丸の場所)、スイッチバックも廃止されました。
現在の赤岩駅の様子ですが、変電所のあたりから先は立ち入り禁止となっていて先に進むことはできません。
通過列車からの様子だと、駅名標とホームの屋根は取り外されているのが確認でき、かつての待合室とホームは今でも残っているようです。
また、スイッチバック時代のホームや、引き込み線の奥のトンネルも残っていて、一度訪れてみる価値はありそうですよ。
まとめ
以上、東北にかつてあった秘境駅を5つご紹介しました。
かつて全国的に有名だった秘境駅を訪れる人は現在でもいます。
秘境駅と呼ばれても、地域の繁栄に貢献したり、列車の安全を見届けたりしてきた訳ですから、そこにかつて駅があったんだという名残が少しでも残されててほしいものですね